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受け継がれる伝統を守りたい~鮭川歌舞伎保存会~

 「歌舞伎(かぶき)」の由来は「傾く(かぶく=かたむく)」からきていると言われています。一風変わった異形を好む者や常軌を逸した行動に走る者を「かぶき者」と呼び、そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた「かぶき踊り」が現在の歌舞伎の起源になっていると言われています。歌舞伎は伝統芸能として受け継がれていながらも、その時代の流行を柔軟に取り入れながら発展してきました。演劇・舞踊・音楽を融合させた「総合的舞台芸術」と言っても過言ではないのではないでしょうか。先人から受け継いだものを守っていこうという伝統を重んじる要素と、奇抜な物腰で世に逆らい従来の常識を打ち壊そうとする要素、相反する衝動が独特の世界観と輝きを生み出す源になっているように思えてなりません。人口約4,300人の小さな農山村 山形県鮭川村にも、現代の「かぶき者」たちが残っています。鮭川歌舞伎保存会の方々です。

 今回で31回目を数える定期公演が今年も開催された鮭川歌舞伎。村民にとってこの「鮭川歌舞伎」はいったいどんな存在なのでしょうか?後継者不足や衣装破損による上演不能を乗り越えた農村歌舞伎のこれまでの道のりには、単なる郷土芸能の域を超えた「伝承の誇り」が根付いているように感じました。そして、現在指導や運営に携わっている方々の「先人たちから受け継いできたものを後世に残していかなければ…」という熱い想いや責任の重みがひしひしと伝わってきて、これこそが農村歌舞伎を下支えしている「地域の力」なのだと思いました。年に一度の定期公演の裏側に密着し、鮭川歌舞伎を支える人々の心意気とその魅力を取材しました。

鮭川歌舞伎とは

 鮭川村内にはもともと石名坂・京塚・上大渕・川口の4つの地区に地芝居が存在していました。この地芝居の起源は古く、安永2年(1773年)頃、江戸の歌舞伎役者により伝承されたものが引き継がれてきたと言われています。しかし、戦時中から徐々に後継者や衣装・小道具等の不足によって、存続が危ぶまれる時期が続いたと言います。消えかけようとしている地芝居を「何とか後世に残そう」という気運が高まってきたのは今から半世紀ほど前の話。四座を統合して、「鮭川歌舞伎」の名称で旗揚げしたのが昭和46年(1971年)のことです。
 旗揚げ当初は衣装や道具も無い状態でしたが、そんな現状が東京新聞に「郷土の歌舞伎を守れ」という記事として掲載されたことがきっかけで好転の歯車が少しずつ回わりはじめます。これを目にした東京の市川千升歌舞伎劇団の市川千升家元座長が、一座の衣装やかつら・小道具など、300点にものぼる品々を寄贈してくださったのです。さらに演技指導の支援も受け、なんとか存続の危機を脱することができたのだそうです。困難に本気で立ち向かおうとする者たちのところには、助ける人があわれるものなのですね。
こうして伝承の灯を消すことなく、村内でゆっくりじっくりと受け継がれてきた鮭川歌舞伎が、鮭川村無形文化財の第一号に指定されたのが、昭和49年(1974年)10月のこと。そして、平成18年(2005年)2月には山形県無形民俗文化財の指定も受けました。

稽古と舞台準備

 毎年6月第2日曜日が鮭川歌舞伎の年に一度の定期公演となっています。この大一番に向けての本格的な稽古は、ゴールデンウィーク明けから始まります。およそ1ヶ月間、仕事が終わると京塚地区多目的集会所や鮭川村ふるさと文化伝承館に集まり、台本の読み合わせや台詞回し、立ち回りや所作の稽古が行われます。指導は鮭川歌舞伎保存会の佐藤成一(さとうしげかず)会長や高橋眞一(たかはししんいち)座長が愛ある稽古をみっちりとつけてくれるのだそうですが、本番が近付くにつれ、衣装合わせや小道具の準備、舞台設営などが本格化します。
 保存会の方々もそれぞれ仕事も違えば家庭の事情も違うため、連日の準備には大変な苦労があるのではないでしょうか。特に青年歌舞伎の方々の場合、小さいお子さんがいるというご家庭もあるようですから、夜に家を空けるのは難しいのでは?と思うのですが、「公演までの大事な稽古だから」と、協力的に送り出してくれるのだそうです。「家族の理解があってこそ、歌舞伎ができる」という声も多数聞こえてきました。郷土文化の担い手はこうして地域みんなに支えられてこそ育つのだと感じました。

 また、世代間の交流も欠かせません。稽古の後には親睦も兼ね、お酒を酌み交わすのも楽しみの一つなのだそうです。1ヶ月間、地域の期待を背負いながら稽古に励むわけですから、公演が無事に終わってみんなで飲むお酒は格別なものでしょうね。年齢に関係なく「鮭川歌舞伎」を通して繋がっている仲間たちのこうした時間も、深い絆をはぐくんでいくのに必要なものなのではないでしょうか。

鮭川村子ども歌舞伎倶楽部

 鮭川歌舞伎定期公演の中でも観客の心を和ませ一つの見どころとなっているのが、鮭川小学校の児童有志で結成された「鮭川村子ども歌舞伎倶楽部」による舞台です。昭和61年(1986年)にスタートさせ、これまで30年以上続けてきました。青年歌舞伎の演者の半数以上が小・中学生時代に子ども歌舞伎をやっていたことがきっかけで現在に至るというのですから、次の後継者、そのまた次の後継者を育てていく目的で続けてきた「子ども歌舞伎」の取り組みが、いかに重要かがうかがえます。
 さて、今年の子ども歌舞伎は、小学校4年生が3名、5年生が3名の計6名、全員女の子。「青砥草紙花乃錦絵 白波五人男 稲瀬川勢揃いの場」に挑戦しました。1ヶ月ほど前から週2回、放課後の時間を使って練習してきた6名ですが、当日午前中は、緊張した様子も見せずに明るい表情でリラックスしているように見えました。その後、歌舞伎の化粧や衣装が馴染んで大人顔負けの立派な役者さんに大変身です。そして、出番が近付くとかつらをつけ、本番に臨みます。
 大勢の観客に注目され、盛大な拍手で幕を開けました。覚えた台詞を歌舞伎ならではの動きを交えながら、堂々と演じている姿は本当に立派でした。一人ずつ見得を切るたび、大きな拍手が巻き起こり、掛け声がかかります。ご家族や近所の方、指導にあたられた鮭川歌舞伎保存会の関係者の方々は、時には舞台の袖から台詞をささやきながら、見守っておられました。実は、本番前に楽屋で「このかつら結構重いんだよ。動くと頭がクラクラするの。」と、子どもたちから聞いていたので、あんなに格好良く見得を切ることができる凄さに心底感動し、気が付くと写真を撮るのも忘れ見とれてしまいました(苦笑)。
 とにもかくにも、慣れない衣装とスポットライトで普段の練習とはまた違う経験をした子ども歌舞伎の演者たち。彼女たちにとってこうした貴重な体験が、大きな自信につながり、何をする上でも今後の糧になっていくのではないかと感じました。

鮭川歌舞伎の魅力

 鮭川歌舞伎の魅力の一つに、会場の和やかな雰囲気と観客・舞台の一体感が挙げられるのではないでしょうか。毎年公演を楽しみにしているという近所の方々は、座布団や座椅子、膝かけ持参でいらしていましたし、正午開演に合わせてお弁当を食べながら和気あいあいと温かな会話が飛び交っていました。小さい子ども連れのご家族もいれば、お一人の方や老夫婦の姿、外国人の方々も数名見うけられ、車も宮城県や福島県、秋田県などの他県ナンバーも見受けられました。

 限定の「花乃錦絵弁当」は、鮭の子館農産物出荷組合・羽根沢温泉旅館組合・有限責任事業組合フリーハンド・ほっこり処みなもとやの謹製弁当となっていて、4種類からセレクト(※ただし、弁当の予約は公演4日前までに申込みの必要あり)できました。村内の鮭川村の特産品コーナーでは地元の方々がきのこの加工品やお菓子類などを地域外から来られたお客様中心に販売し、会場の外も大賑わいでしたし、今年も様々なところから御花もたくさん上がったようです。受付や来場者の案内、下足置き場や花貰いなどの裏方の役割を山形大学や東北文教大学の学生が手伝ってくださっており、会場内には若者の姿が多くとても活気がありました。
 さて、開演を今か今かと待ち望む観客とは対照的に、舞台裏の楽屋では慌ただしく準備が進められていました。化粧を施し衣装をまとうごとに、表情が凛と引き締まっていくように見えました。舞台に上がるための心の準備もそれぞれがこうして徐々に整えていくものなのでしょう。今年は、山形大学の学生3名も舞台に挑戦。大変貴重な経験を通して、歌舞伎にかける情熱や鮭川村の郷土文化について考えを深めることができたのではないでしょうか?

  「義太夫・寿式三番叟」で開幕した定期公演ですが、様々な「三番叟」がある中、お祝いや開幕の際に演じられる舞です。歌舞伎のみならず、能や神楽などの伝統芸能で演じられる儀礼曲として親しまれています。非常に長いものなので一部割愛して振付・構成がされていたため、鑑賞しやすいように感じました。

 そしていよいよ、第一幕。演目は「仮名手本忠臣蔵 大序 鶴ヶ丘八幡宮社頭兜改めの場」で、比較的わかりやすい演目である上に、幕間の解説もあるため、歌舞伎が初めてでも十分楽しむことができました。

 そして、第四幕 大切 青年歌舞伎は「義経千本桜 伏見稲荷鳥居前の場」が上演されました。会場の熱気と衣装の重み、スポットライトの大舞台で、演者の方々は汗を滲ませながらの好演。見得を切ったら拍手喝采、コミカルな場面ではお決まりの大爆笑。舞台に上がる演者だけでなく、裏方として幕間で活躍するスタッフも観客も、会場全体が一体となって作り上げられている鮭川歌舞伎を肌で感じることができました。
「この一体感、この温かさ、これこそが鮭川歌舞伎の魅力!!」と、すっかり虜になってしまいました。「来年の定期公演も絶対に見に来よう」と誓いを立て、それまでに歌舞伎に関する知識も少しは身につけ、歌舞伎鑑賞に専念できるようにしたいなぁと感じた第31回鮭川歌舞伎定期公演でした。

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