震災なんかに負けるまい!の想いを込めて~まけるまいプロジェクト~
平成23年3月11日、未曽有の大災害「東日本大震災」が発生。新庄最上地域からもたくさんのボランティアが、物資提供・炊き出し・片づけ・傾聴・イベント交流など、様々な形で被災地復興を応援する活動に参加しました。中でも「まけるまいプロジェクト」は、6年以上経過した今もなお、現在進行形で続いている支援と交流のプロジェクトです。その絆は時間が経過するごとに、より深く、太く、強く根をはり続けています。
被災者と支援者はこうしてつながった!
東日本大震災の被災者の一人に、仙台で農業を営んでいた大友よし江さんがいます。「もう、この土地で農作業することはないかもしれない…。」と、津波で家や田畑が流され、やりきれない気持ちを抱えながら避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされました。
一方、新庄市の農家グループ「ネットワーク農縁」代表の高橋保廣さんは、娘さんが宮城県亘理町に嫁いでいたこともあり、米や野菜などの食料と水や毛布などの物資を積み、震災の翌日には道なき道を被災地に向けて車を走らせました。農縁は長年、遺伝子組み換え作物反対運動や在来作物を守る活動など、安心安全な農作物を届けることで全国にサポーターを持つ生産者と消費者のネットワーク組織です。高橋さんは、「いてもたってもいられなかった。自分たちにできることはこのぐらいしかないと思った。」と当時を振り返ります。
避難所を回り炊き出しや食材提供を行う支援活動の中で、大友さんと高橋さんは偶然にも出会うこととなります。この時、大友さんは「以前、新聞に載っていた高橋さんの記事を読んで、農業に寄せる熱い想いに共感して、『自分もいつかこんな農業をしたい!』と憧れていた人だった。でもそれまで面識はなく、そんな人が自分のところに支援に来てくれるなんて、こんな奇跡があるんだなぁと思ったよ。」と、新聞の切り抜きを大切にしていたことを高橋さん本人に伝えたそうです。すると「農縁の活動を通して全国に仲間ができていたんだと改めて実感したなぁ。その仲間が被災地で農業を再開できるようになるまで支えていかなきゃと思ったね。」と、自分の方がむしろ励まされた瞬間だったと高橋さんは語ります。
こうして始まった交流の輪は、お互いの身近な友人や仲間、困っている人、助けが必要な人、力になりたい人、復興を願う人たちなどを巻き込んで、少しずつ回り始めていきます。
プロジェクト1 「田植え交流会」の始まり
雪舞う3月から少しずつ温かくなる被災地。しかし、家をなくし家族を失った人、土地も仕事も多くのものを失ったと感じる生活の中で、焦りや不安は増すばかりでした。ある時、「春が来てもこんなに何もできないのは初めて。田植えの準備で忙しくなる時期なのに…。あぁ、もう一度田植えがしたい。」誰からともなくポツリポツリと湧き出る気持ちを受け止めようと、「みんなで新庄さ来い!一緒に田植えすっぺ!」と、高橋さんの田んぼの一部を被災者に提供、新庄で田植え交流会をすることを思いついたのだそうです。
一見、一時的な慰めにしかならないように思えたこの企画も、家族はもちろん、長年一緒に活動してきた仲間と新庄最上のボランティアたちが賛同し実現させてくれました。
「子どもの頃に帰ったようだ!」「久しぶりに笑った」「土の感触はやっぱり良い」「この漬け物も山菜料理もすごくうまい!」と喜ぶ被災者の顔を見て高橋さんは確信しました。
「食えば腹も心も満たされる。満たされれば人は何とか生きていける。うまいものを食えば人は幸せを感じるし幸せを感じられればまた頑張っていける。一緒に食う仲間がいれば食事はなお美味いし、美味ければ人は笑い、笑えば一緒に食う仲間をさらに楽しませることができる。んだから『食』ってのは大事なんだ。」
交流会に参加した被災者は、泥にまみれて田植えを楽しみ、温泉で汗を流した後、近くを観光して久しぶりに腹の底から笑ったと言います。こうして被災者と支援者が一緒になって植えた苗は、その想いと共にじっくりと成長し、秋に実りの首を垂れることになりました。
プロジェクト2 「まけるまい!」の誕生-実ったお米を小袋に詰めて
秋には約1000kgのお米が収穫され、食材の寄付や炊き出し、田植え交流会に参加した一人ひとりに「これ食って元気出せ!」と配って回ったことで、約4割が被災地に提供された頃、新庄では次なる動きが始まっていました。農縁以外にも、南三陸町や塩釜市浦戸諸島に定期訪問し被災地の困り事に向きあうNPO、車が使えない仮設住宅生活者へ物資や食材を届ける農業法人、現地のボランティアスタッフのお世話をする個人ボランティアなど、これまでの活動の情報を共有し復興支援をどのように進めていくか話し合う「連携と継続を考える座談会」が開かれたのです。
与える支援から自立に寄り添う支援への転換、「被災者が自ら望むことに自分たちが手伝うことで何か新しいことを生み出せないか?」という意見に導かれるようにして、高橋さんは「被災者が植えた田んぼから収穫した米、これをどうにか使えないべか?」と、相談を持ちかけました。すると、「単に与えるだけじゃなく、被災者が立ち上がるのに必要な形にするべきでは?」「米を資金に変え、被災者自身の活動に使ってもらうのはどうか?」と、支援の方向性が見いだされました。こうして次なるプロジェクトをスタートさせることになっていきました。
全国からの一口500円の募金に対し、「応援ありがとう」のお米をリターン。いわば、「キモチをカタチに変えるチャリティパック」です。ネーミングは「震災なんかに負けるまい!」という強い想いと“米(まい)”の二つの意味を込め、「まけるまい!」と名付けられました。パッケージのデザインや袋の準備はすべてが無償ボランティアで進められ、一つひとつ小袋にスタンプを押してお米を詰める作業は、何度も被災地の仮設住宅へ出かけ、絆を深めながら作られていきました。初年度はおよそ1300個が3ヶ月で頒布終了。全国の支援者と想いを繋げる第一歩には、こんな誕生秘話があったのです。
「まけるまい!」は、たくさんの人々がその立上げに関わり、それらの想いや情熱が原動力となって生み出された、新庄発信の活動でした。それが今や支援の輪は、東京・埼玉・神奈川・愛知・大阪・高知など、お米を食べることで被災地を応援するプロジェクトへと大きく成長していくこととなります。
プロジェクト3 東日本大震災を「語る会-聞く会」の開催
米詰め作業で仮設住宅を訪れた時、こんな言葉が聞かれるようになりました。「あんなに酷かった出来事も、時間が経つごとに忘れられていくのかねぇ。」「忘れたいけど、忘れられない。」被災した誰もが抱える不安や悲しみ。「こんなに支えてもらったことを忘れちゃいけない。」多くの優しさと善意に支えられたことへの感謝を、負けないで立ち上がろうという決意を、そして何より東日本大震災から学んだ教訓の数々を、自分たちの言葉で語りたいという湧き上がる気持ちに動かされるようにして、3つ目のプロジェクトを始動させることとなりました。東日本大震災を「語る会-聞く会」の開催です。
この会は、震災を過去のものとして風化させず、また同じ時代に震災を経験した者同士が今後どう生きていくべきかを共に考えていくための交流会です。会場は高橋さんが日頃から繋がりのあった首都圏のオーガニックカフェや、全国各地にいる農縁サポーターが発起人となって近隣の公民館や施設を用意してくださり、これまでに全国20ヶ所ほどで開催されてきたそうです。
2012年2月11日、東京都内のアサンテサーナカフェで第1回目の「語る会-聞く会」が開催され、仙台市若林区の被災者 大内修子さんと相沢竹浩さんの生の声を届けました。大内さんは「被災地の現状は困難を極め、以前の生活を取り戻す日まで不安は尽きません。でも、支援して下さる方々のおかげで、なんとか明るく前向きな気持ちを持つことができています。本当に感謝です。」と支援のありがたさに頭を下げました。また、地元の消防団に入っていた相沢さんは、震災当日の救助活動の様子を、「渦巻く水の中で腕が上がらなくなるのをこらえながら必死に救助活動をした。それでも助けられなかった人もいて、『あの時もっと力があったら…』と考えるとやり切れない気持ちになる。自分は命を繋げることができた。生きている幸せをかみしめながら精一杯頑張らなきゃならない。」と切実な胸の内を語りました。
プロジェクトによる資金は、たくさんの方々の「志金」となり、語り部(被災者や支援者)の交通費・宿泊費、資料やチラシなどの印刷費、「語る会-聞く会」の会場費、または啓発活動のためのイベント開催費用に充てられているそうです。東北から一番遠いところでは、高知県黒潮町で開催されました。海に面した黒潮町ならではの、「震災に伴って被災地ではどういう事態が起こりうるか?」「津波が来た時にどういう対応をすれば良いか?」「助け合いのコツは?」などの質問が飛び交い、有意義な情報共有と交流を図ることができたということです。
まけるまいプロジェクトでは、「語る会-聞く会」の開催を希望するグループを現在も募っています。全国どこへでも出向き、震災の教訓を語り継ぐ活動を展開していきます。語り部である相沢さんは「あの時は一生分の支援をもらったと思う。世界の裏側からも助けが来たからね。その分を少しでも恩返ししていきたい。」このように語ってくれました。
まけるまいプロジェクトからのメッセージ
東日本大震災からの6年余りを振り返り、「まけるまいプロジェクト」の今後について高橋さんはこう語ります。
「一人では叶わないことも、みんなが少しずつ協力してくれることで叶うことがある。一人ひとりが別の能力や個性を持っているからこそ、繋がるとうまい具合に活きてくるんだな。この動きは自分一人じゃ到底できないことだ。今は、どっちが支える側でどっちが支えられる側かとか、年齢や住んでる場所も全然関係ない。数年前から、春の田植えと秋の稲刈り交流会には、地元の高校生ボランティアがたくさん手伝いに来てくれるし、行政のアシストも本当にありがたい。立場が違えどみんな仲間。そうやって助けてくれるお人好しでおせっかいなところも、新庄最上人の良いとこなんだよな!『被災地支援』というスタートからは状況も変化してきているから、これからは『ふるさと新庄』を掲げてやっていければいいと思っている。みんなが集まれる場所があって、一緒に農作業をして近況を語り合う。その時だけは新庄がみんなの心のふるさとになるといいなぁ。」
共に農作業で汗をかいた後、家族や仲間と食卓を囲むことで、高橋さんにとって至福の一時が訪れると言います。
「新庄最上には心強い人たちがいっぱいいる。俺たちだけではできなくても、この繋がりが大きな強みになる!」と、力強く頷いてくださいました。
そこに関わる誰もが、ただただ「役に立ちたい」「自分にできることで誰かを助けたい」という気持ちに動かされています。だからこそ広がり続ける「まけるまいプロジェクト」の今後の活動もどうぞ見守ってください。